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      2017/04/13

一流アスリートのコメントに共通していること!

 

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ごくごく普通の主婦で、ごくごく平凡な日々を過ごして来た、と自分では思っています。

子育てが終わり、仕事を辞め、ようやく時間や気持ちにゆとりが出てきた時には、人生の半ば以上が過ぎていました。

時間に縛られずにいれることで、日々の暮らしのなかに、今まで気付かなかったこと、また今まで気付いていても時間に追われて、なかなかできなかったことなどを、気の向くままに書き綴ろうと思います。

「おばあちゃんの知恵」には程遠いですが、より頼もしい老後に向けて日々暮らして行けたらなぁ!と思っています。

himawari

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若くして、迷いのない 芯 のあるコメント
さすが高い山をいくつも越えて、頂点に立たれただけのことはある!

フィギャースケートをしているときの真央ちゃん、凛として美しい。

顔は愛らしく、スタイルは腰の位置は日本人としては高いが、態度の腰はいつも低い。

日本のフィギャー界の顔。

自分が好きで始めたフィギャースケート。5歳から26歳までその道一筋、フィギャースケートは”人生”だったと言う。

フィギャースケートに燃え尽きた21年間。

他のスポーツでこれほど長く続けた方はいるだろうか?

真央ちゃんと言えども、常にトップに居れたわけではない。

ファンが多ければ多いほど、期待やプレッシャーも大きかったことと思う。

特にソチオリンピックでは金メダルを期待され、ショートで16位と思いがけない結果だったが、気持ちを切替えて挑戦したフリーの演技は完璧で、6位にのし上がった。

あのときの感激は忘れられない。

真央ちゃんだけでなく、テレビで見ている側もジーンとこみ上げてくるものがあった。




結果が振るわなかったショートの後、コーチから「まだフリーの3分の2が残っている」と励まされたそうだ。

フリーを諦めずに望んだこの一連の出来事が小学5年生の教科書に取りあげられるそうだ。

一時休業し復帰後、自分の持てる力を出し切った結果の「フィギャースケート選手生活を終えることとします」宣言。

体力面、気力面でつらいことも多くなり、最近のスケート等についていけるかという気持ちになったそうだが、やれることはやってきたので、スケート人生に悔いはないと真央ちゃん。

メールで、このことを前日の4月11日に公表していたが、あえて会見を開くのは、今まで応援してくれた方々への感謝の気持ちを伝えるための最後の場でもあった。

引退の記者会見で、記者からの質問に答える真央ちゃん、
どの質問にも、何の戸惑いもなく受け答えしている姿は、
”やれることをやりつくした!悔いのないスケート人生!” 

フィギャースケートと共に過ごして来た21年間を振り返った時、
選手生活を、晴れやかな気持ちで締めくくれたことが何よりである。

記者会見を終え、席を立ったとき、感極まったのか涙が・・・

真央ちゃん、2度3度後ろ姿に・・・

これがフィギャースケーターとして本当に最後の会見。

どんな選手にも必ずやってくる引退、引退があるから現役中に頑張るのでしょうか?

本当に長いことお疲れ様でした。今まで楽しませてくれて有難う!!

真央ちゃんがフィギャー界を去ってとっても寂しいが、これからはどんな道に進んで行かれるのか、今までとは違った浅田真央ちゃんに会えるのが楽しみである。

【追記】

今から10年位前の午後7時過ぎ、いつものようにジムに行ったら真央ちゃんがいてビックリ!

翌日に、長野市にあるビッグハットでNHK杯が開催されるということで、真央ちゃんは会場近くのジムにトレーニングに来ていました。

今は亡きお母様がお供していました。

ジムで見た真央ちゃんは、リンクで踊っている真央ちゃんとは違って、化粧なし?の感じで上下グレーのスウェット姿でした。

翌日のNHK杯では、前日見たトレーニング姿の真央ちゃんとは別の花ある真央ちゃんで、見事優勝しました。

 

 

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